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更新日令和7(2025)年1月29日
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第一回かしわ・その時「昭和8年7月20日~柏競馬場駅ができた日~」
新掲載企画・歴史発見「かしわ・その時」について
このたびの新掲載企画「かしわ・その時」は、毎回、その時々に起きた柏市にとって歴史的な出来事を通して市民の皆様方に地域の歴史を紹介していくコーナーです。今後、毎月1回を目安に、1年間の掲載を予定しています。
初回は「昭和8年7月20日~柏競馬場駅ができた日~」としました。
柏競馬場は当時、東洋一の威容を誇り、「柏を関東の宝塚に」というまちおこし計画の中核をなす施設で、昭和8年7月20日の競馬場駅の開設はこれを象徴する出来事でした。
今後も折にふれて、柏の歴史記事を掲載してまいります。
第一回「昭和8年7月20日~柏競馬場駅ができた日~」
柏競馬場前停車場(昭和10年、提供:東葛飾高校)
今から78年前の昭和8年(1933年)7月20日、総武鉄道(現在の東武鉄道)野田線に柏競馬場前停車場が開設されました。主に、柏競馬場、柏ゴルフ場の利用客と東葛飾中学校(現在の東葛飾高校)生徒が利用していました。
この柏競馬場は、現在の柏市豊四季台団地のあたりに作られた、当時の日本では最大規模の公営競馬場です。また、柏ゴルフ場は、その柏競馬場の内馬場にコースを整備して完成したものでした。
また、平成23年(2011年)は、東武野田線開通からちょうど100年の記念の年です。この鉄道は、明治44年(1911年)5月9日に開業しました。当初は、千葉県営軽便鉄道として、柏-野田間の開業でした。
利根運河の鉄橋を渡る県営軽便鉄道(大正年代)
その後、大正11年(1922年)には北総鉄道、昭和4年(1929年)に総武鉄道、昭和18年(1943年)に東武鉄道と名前を変え、現在の東武野田線の姿ができました。今回のテーマとなる柏競馬場前停車場ができたのは、総武鉄道が運営していた頃になります。
この停車場がつくられた背景には、柏のまちおこし計画があります。いったいどんな計画だったのでしょうか?
柏のまちおこし~関東の宝塚を目指して~
宝塚劇場食堂定価(柏市花野井・吉田家文書)
宝塚劇場食堂定価部分拡大(柏市花野井・吉田家文書)
柏市花野井の富豪、吉田甚左衛門は、日本中が昭和の経済不況に向かう中、柏町の将来に危機感を抱き、町長浜島秀保らとさまざまなまちおこし事業を展開します。
彼が参考にしたのが阪急グループ・宝塚歌劇団の創始者である小林一三です。吉田家の資料には、宝塚劇場の食堂の定価などを調べたメモが残っています。
彼は、東京に近く、布施弁天・曙山・手賀沼などの風光明媚な場所も多い柏になんとか人を呼び込もうと、一大レジャーランドをつくり、柏を「関東の宝塚にする」ことを考えました。
その中核となったのが当時東洋一と言われた「柏競馬場」です。
吉田は、千葉県畜産組合が椿森競馬場の代替地を捜しているという情報をいち早く掴み、誘致に動きました。そして昭和3年(1928年)、現在の豊四季台団地に競馬場がオープンします。
柏競馬場全景(昭和10年ころ、提供:細田杲)
東洋一の競馬場
当時、日本にあった競馬場といえば、1周1,000メートルから1,200メートル程度のものでした。ところが、柏にできた競馬場は1周1,600メートルと、国内でも有数の規模のものでした。新聞でも、この大きな競馬場のことを伝えています。
読売新聞千葉版(昭和3年5月5日)
(注意)この記事は、読売新聞社の許諾を得て転載しています。
柏町の人口の13倍もの人がやってきた!
当時の柏町の人口は約7,000人。そこへ、競馬が開催されると聞いてやってきたのは、なんと3日間で9万人!柏町の人口の約13倍という数です。
賑わう競馬場の入口(昭和3年、提供:野口英雄)
大規模な階段式の観覧場(昭和初期、提供:野口英雄)
客待ちの乗合自動車・ハイヤー(昭和初期、提供:浜嶋誠一郎)
柏駅から競馬場までは、1キロ強の距離があることから、乗合自動車が運行していました。
総武鉄道野田線「柏競馬場前停車場開設」
競馬場開設から5年後の昭和8年、総武鉄道(現在の東武野田線)柏競馬場前停車場が開設されました。
この停車場ができることによって、競馬場へのアクセスが飛躍的に向上することになりました。
柏競馬場前停車場(昭和10年、提供:東葛飾高校)
競馬の売り上げは柏町の年間予算の約3倍
当時の柏町の予算は、5万から6万円でした。そして、競馬場の3日間の売上げは14万円。つまり、町の年間予算の約3倍のお金が競馬場の売上げとなりました。
馬券引換所の群集(昭和3年、提供:野口英雄)
競馬場をもっと有効に~ゴルフ場オープン~
競馬場は、当時の法律では春に3日、秋に3日のあわせて6日間しか開催することができませんでした。ですが、それではせっかくの競馬場が365日のうち359日間は休場になってしまいます。そこで、妙案を出したのが我孫子に住んでいた杉村楚人冠です。彼の案で、競馬場の内馬場にゴルフ場を作ることになりました。昭和4年2月にゴルフ場がオープンします。日曜日には人手が足りず、近くの小中学生がキャディーとして雇われていました。
柏ゴルフ場(昭和初期、提供:野口英雄)
競馬場前停車場・競馬場・ゴルフ場のその後
競馬で賑わった柏にも、戦渦が近づきます。競馬場は、軍馬鍛錬会場として延命を図るものの、昭和17年(1942年)には開催打ち切りとなり、ゴルフ場も翌昭和18年に閉場となりました。終戦後に、柏競馬場は一時復活するも、昭和25年閉場。跡地は、現在の豊四季台団地となりました。今では、競馬場や駅の面影は残っていません。
新しくなった豊四季台団地(平成23年7月頃)
歴史発見「かしわ・その時」シリーズ
歴史発見「かしわ・その時」は、毎回、その時々に起きた柏市にとって歴史的な出来事を通して市民の皆様方に地域の歴史を紹介していくコーナーです。
タイトル | 概要 |
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柏競馬場は当時、東洋一の威容を誇り、「柏を関東の宝塚に」というまちおこし計画の中核をなす施設で、昭和8年7月20日の競馬場駅の開設はこれを象徴する出来事でした。 | |
日本側に返還された米軍の柏通信所を通して、十余二地区の成り立ちと「柏の葉」開発の歴史を紹介します。 |
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猛威を振るったカスリーン台風をテーマに、利根川や手賀沼のほとりに暮らした人々と、水魔との苦闘の歴史を紹介します。 | |
第一回国勢調査をテーマに、このときの調査データや市内の資料を紹介しながら、近代化の中で農村から商都へと劇的に変貌をとげた柏の姿を追います。 | |
町村合併から市制施行をテーマに、当時の懐かしい写真や資料とともに、中核市へと劇的に変貌をとげた柏の原点を紹介します。 | |
第六回 文明10年12月10日 酒井根原の合戦~太田道灌、襲来~ |
江戸築城で知られる太田道灌と、下総の千葉孝胤が戦った酒井根原の合戦をテーマとして、数少ない当時の古文書史料を手がかりに、謎に包まれた柏の中世を考えます。 |
第七回 昭和24年1月25日 軍部が恐れた穏健派~牧野伸顕、十余二に永眠~ |
今から63年前、激動の大正・昭和期に活躍した政治家牧野伸顕が十余二で死去しました。牧野伸顕邸を中心に、鈴木貫太郎・吉田茂らと繰り広げた知られざる終戦への歴史に迫ります。 |
さらに詳しく知りたい方は・・・
さらに詳しくお知りになりたい方は、柏市史などをご利用ください。
柏市史を読む
今回のテーマに関する市史の書籍は次のとおりです。
書籍名 | 該当ページ | 販売 | 備考 |
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柏市史(近代編) |
P749~P763 |
4,980円 |
|
続かしわの昔 |
P96~P99 |
販売終了 |
図書館等で閲覧可能 |
歴史アルバムかしわ |
P62、P290~P300 |
販売終了 |
図書館等で閲覧可能 |
歴史ガイドかしわ |
P30~P31 |
販売終了 |
図書館等で閲覧可能 |
(注意)柏市史は、柏市立図書館、柏市行政資料室(柏市役所1階)などでご覧いただけます。また、販売中の書籍については、行政資料室(柏市役所1階)、文化課(沼南庁舎)でご購入いただけます。郵送での購入も可能です。販売方法などの詳細は、こちら(文化課発行の刊行物)をご参照ください。
(2011年7月12日掲載)
(注意)掲載しているすべての画像・資料は、無断での複製・転載を禁止します。
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柏市広報番組「カシケン」では、市民の皆さんが日ごろ感じている柏の街の疑問・噂などを市立柏研Q所(通称「カシケン」)の博士と研究員が体当たりで調査!
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