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第5回 沼南町の誕生

沼南村庁舎(JPG:47KB)
昭和41年まで沼南町役場であった柳戸の庁舎(昭和49年頃)

沼南町の誕生

柏市と沼南町が合併し、まもなく10年を迎えますが、この沼南町(当時は村)も、手賀村と風早村の合併により昭和30年3月30日に誕生します。合併直後の沼南村の人口は11、044人、1、789世帯でした。
沼南村が誕生した当時の様子を「沼南村設置申請書」などの資料から見てみましょう。

協議会日程表
手賀風早村議会合同協議会日程表(昭和29年)

沼南村設置申請書
沼南村設置申請書(昭和30年3月9日)

沼南村昭和30年予算書
最初の沼南村予算書(昭和30年)

適正規模調査委員会綴り
新村の適正規模調査委員会の文書(昭和31年)

まず村名ですが、手賀村と風早村の面積や人口がほぼ同じ規模であったため、片方を採用することはできません。そこで両村が手賀沼の南岸に位置することから「沼南村」と名付けられました。

当時、柳戸地区に建てられていた旧手賀村役場を沼南村役場の庁舎として使用することが決まり、旧風早村役場は支所となりました。

沼南村役場写真
沼南村役場として使われた庁舎(柳戸・年不詳)

沼南村議会風景
沼南村議会風景(柳戸・昭和30年代)

手賀村の庁舎が新築後間もなかったことが理由ですが、将来財政的に余裕ができた時には中心部に庁舎を新設するという、条件付の暫定的な措置でした。村長は風早村の中台正夫氏が就任します。

両村の規模をもう少し比べてみましょう。人口は手賀村5、174人、風早村5、870人。面積は手賀村22.1平方キロ、風早村21.1平方キロとほぼ同じですが、地目をみると田が手賀村4.89平方キロに対し風早村2.64平方キロ、逆に畑では手賀村3.79平方キロに対し風早村5.86平方キロとなっています。

手賀村には江戸時代から手賀沼を干拓した広い水田が広がっており、風早村には小金牧から続く台地を開墾した畑が多かったのです。当時は米の値段が高かったので、この差は両者の税収にも現れています。

情報伝達の様子はどうでしょうか。電話の加入書は手賀村が12戸に対し風早村は2戸、ラジオは手賀村が548戸に対し風早村は784戸でした。登場したばかりのテレビジョンの加入者はまだいませんでした。
千葉県の試案でも、当初から同じブロックとされた手賀村と風早村。県の調査資料に「手賀沼に面して同一形態の純農村であり、生活圏も経済圏も完全に一致し、客観情勢に従い合併の実現は確実」と記載されていたとおり、比較的円満な合併だったようです。

沼南町制施行式(JPG:12KB)
町制施行式(昭和39年)

相撲大会風景
町制施行を記念して相撲大会が開かれました(昭和39年)

建設中の沼南町第一庁舎
建設中の沼南町役場の庁舎(現・沼南第1庁舎(現在は1階、こども図書館・2階、郷土資料展示室)・昭和40年頃)

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