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更新日令和7(2025)年1月29日
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第11回花野井醤油モノがたりその2
醤油工場を望む(大正期)(カラー化写真)
花野井醤油モノがたりその2〜しょうゆづくりの終焉〜
しょうゆは、品質により最上物、上物、並物、下物にランクされていますが、吉田家には上物の「亀甲千代」、並物の「ジガミ華之井」、そして下物の「加」(カギか?)が商標としてあります。当初吉田家は、東京市場に上物の「亀甲千代」を出していましたが、明治の中頃になると最上物を販売する野田や銚子の大醸造家に押されるようになり、吉田家は競合を避けるため上物から並物の「ジガミ華之井」へと移行していきました。その後、一時期は持ち直しましたが、明治末期になると市場は品質のより高いものを好むようになり、吉田家は東京から地方市場に活路を見出していきます。
醤油醸造場イラスト(包装紙として使用)
明治以降、東京を起点とした放射状に鉄道網が整備され、柏周辺でも明治29年に常磐線の田端-土浦間開通に伴い、柏駅が開設されます。また、吉田家でもしょうゆ運搬のために花野井から柏駅をつなぐ運搬用の道路を自費で整備し、鉄道貨物により埼玉、群馬、栃木、茨城など北関東の地方都市へ販売網を広げていきます。
この頃、地方販売用に新たに「亀甲北西」、「亀甲湖」、「亀甲久星」「大玉」、「ジガミ寿々木」といった商標が新たに登場ます。こららの商標は商品としてのしょうゆに表示される印で、産地により様々なデザインが考案され、銚子は山形が多く、亀甲形は吉田家でも多く使われていますが、野田の「亀甲萬」が有名です。
吉田家のしょうゆラベル
当時使用されていた一斗樽(写真にあったもの)
現在残っている一斗樽
カキイレ
このように吉田家は地方進出を進めたり、原料のコストを抑えるため小作小麦や本土より安価な満州(現在の中国東北部)大豆を取り寄せるなど経営努力を重ねたりしていきますが、大正11年に野田醤油株式会社(現キッコーマン)に経営権を売却することになりました。その後、野田醤油株式会社花野井工場としてしょうゆを出荷している記録が残りますが、程なくしてしょうゆ醸造は終焉(しゅうえん)を迎えることになりました。
大正初期の醸造場
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