更新日令和3(2021)年2月26日

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善哉庵の尼さん

いつの頃からか、船戸に”善哉庵(ぜんざいあん)”という、お坊さんもいない荒れ寺がありました。春になると寺の庭には水仙の花が咲きました。医王寺のお坊さんが時々見まわりに来ては、水仙の花をながめました。

「この庵(いおり)もだいぶ傷んできたわい。雨ももるし、柱もくさりはじめている。このままでは檀家(だんか)の人に申しわけない。このきれいな水仙の花がなかったら、わしとて足が向かなくなる。」

お坊さんはぶつぶつとひとりごとをいいながら、本寺(ほんじ)にかえっていきました。

善哉庵の尼さんの絵ある日のこと、善哉寺に若い尼さんが訪れてきました。胸に小さなつつみをかかえ、ありがたいお経をとなえはじめました。村の人は尼さんに

「もし、よかったらこの寺にとどまり、代官や本多さまのお墓を守ってください。」

と、たのみました。

「わたしでよければ、この観音さまといっしょに、寺を守りましょう。」

尼さんはそう答えると、小さなつつみを解き、中のものを仏だんに安置しました。身の丈五寸ほどの十一面観音さまでした。

尼さんが住むようになると、善哉庵はすっかりきれいになりました。くちていた、たたみも障子もあたらしくなりました。床も柱もみがかれました。この寺を菩提寺にする人びとが集まり、毎年八月になると祭りを行うことにしました。”かんのんこもり”といわれ、作物の豊作を祝い、家内安全を祈る祭りになりました。家々から米や、いもや、やさいを持ちよってお経をとなえながら寺に一晩こもるのです。
やがてこの祭りは遠くの村や町にもつたわりました。八月十七日の縁日には数えきれない人でにぎわいました。
尼さんのご説法(せっぽう)をきくために門前には長い列ができるほどでした。

善哉庵には境内の中ほどに大きな一本杉がありました。この木のもとに、本多さまの家族が葬(ほうむ)られた墓地があり、これをとり囲むようにたくさんの石塔が並んでいます。ふしぎなことにどの石塔も田中家か、平久(たいらく)家で、どちらも代官の子孫といわれています。
尼さんは一つ一つの石塔にさわりながら小さな声でお念仏をとなえました。

春が過ぎ、夏が来て、秋になりました。尼さんは境内の落葉を掃きながら「そろそろこのへんで」と、つぶやきました。
冬のはじめ、水仙の芽が出かかるころ、そっと善哉寺を出て行きました。つつみの中には小さな水仙の球根が一株おさまっておりました。

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