更新日令和3(2021)年2月26日

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父が最期に教えてくれたこと ~私も子どもだった~

自分が親になって感じたこと

7歳と1歳の兄弟育児は本当に予想もしないことが起こる毎日です。長男が小学校で骨折をしてきたり、次男は肺炎になってしまったりで、毎日のように病院に通う日々。もちろん私の予定なんてあったものじゃありません。そんなことの繰り返し。でも大変なことが起きるたびに感じることがあります。それは「私もこうやって育てられたのだなぁ」ということ。

私は「親になって良かった」と思うことが2つあります。ひとつめは、大人になってからもう一度子どもと一緒に子どもの目線で子どもの景色を見られること。ふたつめは、自分自身がどのように育ててもらっていたのかがわかること。

親がいくら時間と体力を子どもに割いて尽くしても、子ども側は絶対に忘れてしまうものです。しかし親になって肌で実感することで、誰しもが「こうやって自分も育ててもらったんだな」と改めて親に感謝するのだと思います。

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<2人もどんどん大きくなります♪>

父との最後の会話

「みひとつ、ちょうだい!!」

これは、私がまだうまくおしゃべりできなかった2歳くらいのときに「もう一つちょうだい」という言葉がうまく言えなくて発していた言葉です。私はもちろん覚えていません。でも父は何度もこの話をしてくれました。「もういいよその話は」とあきれるほど、事あるごとに言われていました。

今年の9月11日、再入院するために病院に向かう父と、「退院したら一緒に行こう」と約束していたステーキ屋の前を通った時も、この話をしていたのを覚えています。私は、またその話か・・といつものように軽く笑って返していたと思います。あの細い抜け道を通りながら、父はまた2歳くらいの私を思い出していたのでしょう。

それが父との最後の会話です。家族の柱であった、私の大好きな父が9月23日に帰らぬ人となりました。
それはもう、言葉では表せない悲しみと辛さと悔しさとで、今まで生きてきた中で最も悲しく受け入れらない事でした。今でも何一つ心の整理はできていません。こんなにも悲しくて虚しいことがあるのか、そんな思いが今でも続いています。

最後の最後まで、いつものように私の小さい頃の話をしていた父を思うと、やっぱり私は、父にとってはいつまでも子どもだったのだと感じます。もうとっくの昔に大人になっていて、結婚をして子どもがいて、母になっているけれど、父の傍にはいつも「みひとつちょうだい」のままの私がいたのです。

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<あの頃のわたし>

父からの愛情

私の父は、いわゆる今の時代の“イクメン”と呼ばれる人ではありませんでした。仕事がとても忙しかったので、私たち子どもと過ごす時間は少なかったし、家事や子育てにもあまり協力できなかったと思います。学校行事に来てくれたこともないし、遊んでもらった記憶もほとんどありません。でもたまに一緒に行ったラーメン屋で、父は必ず自分も好きなはずのチャーシューやナルトを私にくれました。今は私が子どもたちに同じことをしています。自分より子ども、それが当たり前。些細なことですが、これも子どもへの愛情です。

何が言いたいかというと、たとえ一緒にいる時間や思い出が少なくたって、愛情は伝わっているということ。そしてそれはいつまでも変わらず続いているということです。

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<忙しい父はよく夜の高速道路をドライブに連れて行ってくれました>

自分の子育てと重ねてみる

私も家族を持ち、2児の母として振回される毎日です。子どもたちはいつどんな時も可愛くて、でも心配したりイライラしたり、私の感情のほとんどを占領しています。「もう少し大きくなったら少しは楽になるのかな」なんて考えたりもしますが、結局こうして子どもたちに感情を占領される日々は、大なり小なり永遠に続いて行く気がしています。この子たちがあっという間に私の背丈を抜いて生意気になっても、自立しても、そしていつか親になっても、いつまでも私の子どもで、今この幼い頃を重ねるのだと、自分の父を見て感じました。

このご時世、病院では面会ができす、父の最期に話をすることはできませんでした。「今までありがとう」そんなことすら伝えることができませんでした。こんなにも長い間、父の子どもでいられてすごく幸せで、感謝してもしきれないのに、ありがとうの一言も言えずに逝ってしまったのです。

父と交わした最後の言葉を改めて振り返ると、またいつもの「みひとつちょうだい」。
「他に伝えたかったことあったよね…」そんなことを思ったりもしました。でもやっぱり、最後の最後まで私は父にとっては子どものまま、2歳の可愛い私がそこにいたんだな、と思い知ります。

あなたの親もそうだった

きっと、今あなたが子どもたちのことを想うように、あなたの親も想ってくれていたでしょう。今あなたの時間が子どもに占領されているように、あなたも親の時間を占領していたでしょう。あなたと同じように、たくさん心配してイライラして、たくさん悩んで笑って、たくさん可愛がってくれていたでしょう。そして今でも、親になったあなたと、子どもの頃のあなたを重ねて見ていることだと思います。

今日も私は、予想できない子どもたちのハプニングにブンブン振り回されて、自分の時間がなくなっていきます。でもそれはみんな同じ。今目の前で優雅にお茶を飲んでいる私の母も、昔は髪を振り乱して育児に奮闘していたのだと思うと、クスリと笑いたくなります。

両親にとって私はいつまでも子どものまま。そして私も、わが子たちをいつまでも子どものままだと思うのです。

当たり前の日常

「当たり前の日常は急に当たり前でなくなる。」今年はそう痛感した1年でした。

穏やかな1日…なんてなかなか訪れませんが、必死に子どもたちを追いかける今日が当たり前でないこと。週末に家族揃ってフードコートでご飯食べるだけ、そんな日常がとても大切な時間であること。一生懸命育児をしている今この時が、ものすごく貴重な時間であること。
そんなことを考える余裕もありませんでしたが、父との最後の会話で、改めて大切なことに気づかされたように思います。

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<孫たちも可愛がってくれました>

最後にお父さんへ

今まで本当にありがとう。私はお父さんの娘でいられたことを誇りに思います。
もう一度「みひとつちょうだい」の話、聞きたいです。

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