更新日令和4(2022)年7月19日

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令和4年度第1回柏市文化財保護委員会会議録

開催日時

令和4年5月16日(月曜日) 午後1時30分~午後3時30分

開催場所

柏市役所本庁舎5階 第1委員会室

出席者

委員

藤井会長、塩澤副会長、倉田委員、萩原委員、金出委員、井上委員、石神委員、西野委員(8名)

事務局

宮島生涯学習部長、田口文化課長、黒須副参事、江藤副主幹、谷口主事、蔵野主事

内容

  1. 開会
  2. 委嘱状交付
  3. 教育委員会挨拶
  4. 委員紹介 
  5. 教育委員会組織・職員紹介
  6. 正・副会長選出
  7. 正・副会長挨拶
  8. 報告
    (1)令和3・4年度主要事業報告(前回会議<10月>以降)

 ア.柏市文化財保存活用地域計画作成(令和元~5年度事業)

 イ.旧吉田家住宅保存修理工事(令和3~12年度事業)

 ウ.旧手賀教会堂関連

 エ.染谷家住宅の保存修理工事(令和2~5年度事業)

 オ.建造物調査事業(令和2年度~)

 カ.柏市郷土資料展示室

 キ.埋蔵文化財発掘調査

 (2)伊藤家住宅落雷抑制システム設置工事について

 9.議題

 (1)柏市文化財保存活用地域計画について

 ア.文化庁協議の報告

 イ.令和3年度柏市文化財保護委員会の意見対応

 ウ.文化財関係者ヒアリング結果について

 エ.地形と遺跡分布からみた柏市域の土地利用

 オ. 計画素案について

 カ.シンポジウム開催について

 キ.今後のスケジュールについて

会議概要

8.報告

(藤井会長)旧手賀教会堂のイコン修復、橋本旅館、建造物の調査事業について、金出委員に補足説明をお願いします。

 

(金出委員)

旧手賀教会堂について

旧手賀教会堂の王門のイコンについては、専門家に来ていただき、調査から修復まで至った。何十年も文化財として守られていた教会堂の貴重な王門のイコンについて、今回明らかになったことは成果だと思う。

橋本旅館について

 橋本旅館は、建造物調査を行った際に、文化財的価値があるということを当家でも承知しながらその維持管理について悩んでいて答えを求めている感じだった。急遽、布施という地域の歴史、非常ににぎわっていた昔のメインストリートから、河岸や渡しで物資や人が行き来して、布施弁天があってという背景と、建物について所見を書きつつ所有者が持っている写真などを集めて建造物の調査を行った。昨年調査報告書にまとめたことがきっかけとなって、この過程を経ることで時間をかけながら、壊すという判断に至る前に踏みとどまった。建物も所有者にとっても幸せな状態になったと思う。

建造物調査について

 建造物調査を行った芳野家は、儒学者芳野金陵の家の分家で、医院を営んでいた。松ヶ崎の主要な通りに面した大きな茅葺の母屋で、今は屋根に鉄板が掛けられているが、昔の姿をそのまま残している。江戸時代の終わりに建てられたと伝えられることが当家の昔書かれた本に載っているものの、建築時期を示す決定的な根拠は見つかっていないが、建物を見る限りそのくらいの時期で良いのではないかと思う。

 主屋には、続き間の座敷が2組あり、新座敷はいつ作られたかわからないが、屋根裏に登ったところ、板が2枚重ねて小屋組の中に取り付けられていた。それを外したところ、明治24年の銘があり、きれいな墨書で火除けのおまじないが書かれていた。工事が行われた際に付けられたかは不明だが、家族の安泰を願うもので、3代目当主によるものであった。主屋正面に造られた医院の外観は和風だが、中は少しだけ洋風で、時代の積み重ねが良い具合に調和して今に残されていた。建物だけではなく庭も手入れよく管理されていて、聞き取りをしつつ報告書としてまとめている。今後、調査を進めながら色々なことを探っていきたい。

 

(藤井会長)先ほどの報告にご意見・ご質問はありますか。

 

伊藤家住宅落雷抑制システム設置工事について

(金出委員)伊藤家住宅の避雷針について、旧吉田家住宅の防災にもつながってくると思うが、茅葺が集落に多くあった時は、火災の時はどのようにしたらよいか伝わっていたと思う。横浜の茅葺建築という本に、畳一畳分くらい茅を掻き落として、24時間は燻りがないか、皆で寝ずの番をしなければいけないといった記述がある。そういう生活の知恵も含めて、確証あることを伝えるということを、茅葺民家の所有者に文化財保護の一貫で行う必要があるのではないかと思った。文明の利器に頼ることも重要だが、合わせて本当に基本的なことがあるのではないか、今回の経験を経て考えるようになった。

 

(萩原委員)文化財防火デーは今でもあるか。市川では近隣の人たちも来て防火の対策をする日があった。柏市ではどのようになっているか。

 

(事務局)旧吉田家住宅と東海寺で持ちまわり、隔年で実施。今回の伊藤家住宅の火災の件で、消防局の火災予防課から、市内の文化財について認識がなかったので今後検討していきたいという話があり、昨年度は旧手賀教会堂で開催予定だったがコロナ禍で中止した。今回の火災をきっかけに、火災予防課で市内文化財の防火対策について確認があり、市内の指定文化財・建造物のリストを提出している。今後、消防局と連携して防災については対策を進める。

 茅の掻き落としの件は旧吉田家の保存活用計画には記載しているが、他の民間の所有者には十分に周知されていないため、今後防火デーとともに周知していきたい。

9.議題

(藤井会長)西野委員からご提供いただいた資料について、西野委員にご説明をお願いします。

 

エ.地形と遺跡分布からみた柏市域の土地利用

(西野委員)資料に基づき、説明を行った。(別記参照)

 

(藤井会長)西野委員からご説明いただいたことについて、ご質問はありますか。

 

(井上委員)壮大な時間のスケールで地形の変遷を語っていただき改めて感心した。一つ勘違いされやすいのが、旧石器時代については、関東や千葉県は非常に注目されているところではあるが、文化財の調査体制は、基本的に千葉県では国・県の公共事業については旧石器時代の調査をしなければいけないという決まりがあり、それが全国区では非常に少ないということがあるので、その点は考慮されなければならないところだと思う。しかし、今まで調査されてきた関東や千葉県は旧石器時代の中心であったことは間違いない。一般の方にはそのまま説明すると勘違いされやすい所であるかもしれないと思う。  中・近世について、地形と川についてはあまり古代と変わらないと思うが、江戸時代に入ってから利根川の変遷、工事を行なったということは非常に大きいことだと思うので、そこからムラの分布や交通路関係も変わっていくというところにつなげるようにして語るのもよいかと思う。

 

(西野委員)旧石器時代の遺跡については確かにそうだと思う。たくさん掘っているから、開発が多いからということはある。しかし、旧石器学会が公表している数字であり、遺跡数は1割以上に多いかもしれないので、訂正まではしなくてもよいかと思う。

 

(倉田委員)縄文時代から江戸時代まで、この地図はほぼ現代の地形を利用している。自然環境が大きく変わる縄文時代前期、特に常陸と下総の間に内海が広がる地図を用いれば非常にわかりやすくなり、遺跡分布の見え方が違ってくると思う。縄文時代はもちろん古墳時代以降も遺跡分布の特徴がはっきり出るかと思うが、難しいか。

 

(西野委員)図はまだ作成できていない状況である。縄文時代前期の海がここまで来ているということは大体わかっているが、ある箇所は作成できるがその他はすぐに作成できない、ということもある。また、今の海岸線とは違うという所をを載せると誤解される可能性がある。今後、もし図を掲載するときには、おおまかでも内海の範囲を掲載しなければいけないと思う。

 

(倉田委員)その方がインパクトもあるし、各時代の自然環境も明確になると思う。特に旧石器時代に、東京湾が後退し陸地化している図を出せば、縄文時代の海進・海退という大きな環境の変化もわかりやすくなる。作成できれば、はじめての試みになると思う。時代ごとに地形の変遷が目で追えるようにすると良いと思う。

 

(西野委員)細かい図を作成することは難しいが、大まかな図は他の人の作った図があるので、それを使用したり、転載することはできるかもしれない。

 

(塩澤副会長)未公開のデータが含まれているが、取り扱いは注意した方がよいか。

 

(西野委員)他の人が作った図は名前を入れ、あとは自分で作った図である。図はなるべく柏市で使いたいと思っている。古代の道以外は分布を落としたものなので公開しても良いと考えている。

 

(事務局)市として慎重に西野委員と十分打ち合わせながら公開については検討する。市民に対して、柏の豊かさを知っていただく上では一つの大きなトピックになると考えるので、十分に調査成果を取り入れていきたい。

 

オ.計画素案について

事務局から前回との変更点について説明を行った。

 

(藤井会長)内容について、各委員から意見をお伺いします。

 

(井上委員)第3節の歴史について、古代から中近世にかけての所をお話しさせていただきたい。

 P31の古代のところだが、市域の集落跡が9世紀台にピークを迎えるという話がある。市域の10世紀半ばに廃絶し、15世紀頃までその痕跡がほとんど認められない。集落が9世紀台にピークを迎え、減っていく。その間どうしてしまったのかという疑問は、千葉県だけではなく、関東、全国的に大きな課題として何十年も語られていたことなので、柏に限ったことではないことは確実である。ただ、関東に関して言えば平将門など在地の武士の動きが集落の変遷に人がどう移動したかに大きく関わるのではないかという意見も多いところではあるので、それを消したいわけではないが、全国的な傾向の中で柏も影響を受けているという視点も必要かと思う。ここは誤解されやすい点で、柏だけではないということである。千葉県だと同じ傾向の集落が印西・印旛地区も同じように8世紀から9世紀がピークとなり、その後集落は減っていく。

 中世に関しては、石塔や板碑の注目される地域であるので、その記載が抜けているかと思う。戦国時代については、享徳の乱のあたりで戦国に入っていく話であるが、鎌倉公方足利氏と関東上杉氏、それを取り巻く人々の争乱の地となると記載があるが、これも柏とか千葉とかこのあたりに限らず、関東全域が争乱の地となった、その中の一つの要所の地というニュアンスで書いた方が良い。戦国時代の話だが、これを出すと中身が濃くなるが、小金城を中心とした高城氏と千葉氏、相馬氏、このあたりの大きな流れを含めて、文献としては松戸市博の小金城の高城氏に関する図録がわかりやすいと思うが、もう少し広い範囲でとらえながら見た方が良いと思う。

 戦国時代は16世紀とあるが、考古学的には15世紀後半から16世紀いっぱいまでは戦国時代ととらえていて、お城も15世紀後半くらいから明確化するので、そのあたりの動きも入っていると良い。近世に入って牧の話が出るが、古代、中世ははっきりしないところがあるが、近世に入ってくると明確文献が出てくる。それぞれ古代、中世でも触れた方がよいのではないか。牧が充実してきたことで武士団が成長していく、それが将門や地域の武士団の成長につながっていくと思うので、牧についても前の箇所に入れたほうがよいと思う。

 

(金出委員)序章P3の背景で、建物の話が多い。計画作成の背景ということで、読んでみようかなと思わせる内容になるよう、地形や歴史が積み重なっている豊かな土地を扱うという記述が続くことを示唆するように、各分野の説明を一言ずつ入れた方が良いのではないか。

 P13で文化財保護法の6つの類型を基本に、柏特有の注目すべき文化財を足していくと書いてあるが、下の柏歴史文化遺産の図では上の6類型と対応していない。文化庁の類型を基本にするなら、6類型がわかるように図を作り、そのまわりにもっと柏の文化財があるというように、視覚的にわかるようにするとよいと思う。

 昔の村の区分によって村ごとに歴史を書く際、地域を大きく考えた時に、役割として近い村は一緒に扱って書いてもよいかもしれない。

 P37橋本旅館は、(創建時の)近世か、(建物の残る)近代のどちらに入れるとよいか検討してほしい。

 P39近代になると、柏市域の学校教育も大きな項目でないかと思う。東葛高校の入口のポーチコが今も残っているが、特色ある学校建築が作られている。その項目をどうやって入れるか。将来的に現代の柏の小学校建築にも織り込むため、教育という言葉を入れた方が、将来的に展開できるかと思う。

 P45 3.記念物の史跡、千葉県指定文化財で2つの遺跡が取り上げられているが、北ノ作1、2号墳がなぜ代表的な遺跡であるかということや、藤ヶ谷十三塚は当地区のもののみで全国的に希少であるということについて説明がないため、一番や日本一、など記載する場合は、裏付ける根拠を記載したほうがよい。

 P46文化財保護法以外で価値づけされているものという言葉について、価値づけという言葉はここでふさわしいか。文化財保護法以外で確認されている、など客観的な言葉としてもよいのではないかと思う。行政的な用語の問題でもある。

 P57埋蔵文化財の発掘調査について、近世・近代の遺跡の扱いはされるのか。これから近世・近代を主として扱うものも多くなるのではないか。

 P58 2.既刊行の市史関連書籍一覧は全て西暦で書いてあるが、他のものは元号が併記されており、一目でわかりにくい。視認性から、一覧は西暦表記がわかりやすい。和暦を入れる必要がある場合は、列を分けるなどすると、情報の意味がもっと伝わるようになるのではないか。

 

(萩原委員)指定されていない文化財というところで、沼南地域では鳥ビシャが有名だが、それ以外のオビシャも素晴らしいものがあるということは市史にも記載しており、取り上げた方がよい。

 民間団体について、どの部署が活動内容を把握しているか。また、市で一括してわかるようなところはあるか。私も関係している「市川緑の市民フォーラム」の活動は、戦争末期の松脂を採取して飛行機の燃料にするということについて、その松を全て調査して報告書を作り、看板を設置した。その後、わかりやすい冊子を作成し、市内の小学校に配布した。この冊子は教育委員会の予算で作った。その他にも、市川市の平田という所で、公園に看板を設置するといった活動を行っている。そういった活動が審議会では何もわからず、個々にどこかが活動していてもあまり出てこない。そういう活動を、もう少し文化財審議会であれば把握をしなければならないと思う。どこでどのような活動をしているか、知っておいて把握しなければならない。私は市川市の北国分で、「ゆいの会」というボランティア会を作っていて、自分の家を展示会場にしたり、コンサートを行なっている他、色々な施設や学校に行ったりしているが、色々な活動を行っても狭い地域でしかわからない。

小さな活動であっても、統括してわかるようなことを市の方でやってもらえるとよいと思う。

 

(事務局)民間団体について、横串を刺してほしい、どこがまとめているかというお声はいただく。

 地域計画づくりの中で、関係団体のヒアリングをかなり広範に行なっている。ここまでまちづくりや福祉等様々な分野の市民団体の活動情報を集めるということは、今まで一時やりたいという方が意欲を持って行っても、継続できていなかったことが一番の問題だと思う。計画作りはそういうところで100%ではないかもしれないが、文化財を一つのキーワードとして、様々なまちづくりに関わる活動をされている個人・団体の方々を巻き込んで色々活動していくという中で、ある種実験的な試みと思っている。市民活動支援課もまとめようとしているが、福祉、環境など各分野に行ってしまい、一時は目くばせできるが継続しない。それを継続的、恒久的な仕組みとなるような形を目指していかなければならないと考えている。行政が専門性を追求していくか、一般性でカバーしていくかというところになるが、組織としてある程度継続してそれぞれの市民活動について把握していくことは、一歩一歩積み重ねていくしかないものと考えている。

 

(石神委員)P13の歴史文化遺産に関連して、第2章第2節の未指定文化財の項目があると思う。未指定文化財というものについて、どう定義づけるかが気になる所である。今後、文化財として指定されているものが、恒久的に現状維持されるべきと定義される指定文化財というところから入るのか、未指定文化財とは何なのか、市民にわかりづらいように思う。将来の指定文化財になる物件なのか、指定されないかもしれないが、地域においては重要な遺産か。きちんとした定義を未指定文化財に与えないといけない。柏市はどのように判断するのかという点をきちんと明確にしておくべきと思う。

 

(事務局)定義をどのようにするか悩んでいるところである。整理して計画の中でどう位置付けるかについてはさらに考えなければならない。

 

(西野委員)第2節未指定文化財⑴その他の文化遺産⑵未指定文化財の項について、「その他」から始まるのはいかがかと思う。誰かが価値付けしたものを並べて、それ以外はあまりないという印象を与える。指定してある文化財はもちろん、それ以外の文化財もたくさんあるという書き方にしなくてはならない。それらをどのように活用していくかを書くことが必要だと思う。

埋蔵文化財の記述を充実させてほしい。市民や企業の協力のもとでこれだけ蓄積があるということは出すべきだと思うし、どのように活用できるのかというところはある程度書かれていないといけないかと思う。

 

(事務局)埋蔵文化財でこのようなことがわかっているということを市民に伝えることは非常に大事だと思っている。未指定文化財、指定文化財の違いについては、価値の序列ではなく所有者の同意が得られているかいないかというところもあるので、どう計画の中で定義するかは再検討していきたい。

 計画の中では、今後、指定・登録していく文化財の候補物件をあげ、指定登録する事業を行いたいと思っている。各分野の先生に、指定・登録候補物件のリストアップをお願いしたい。

 

(倉田委員)先ほど、井上委員から中世の石塔や板碑などの石造物も記載すべきとの意見が出されたが、石造物類については中世だけではなく近世、近代など各時代の石造物も視野に入れるべきだろう。近世なら水戸街道の道標などがあると思う。

 

(事務局)資料6-2のヒアリングまとめだが、文化財を保存活用している団体が、市内の文化財で何を残していきたいと思っているかというアンケートの中で、指定・登録文化財は挙げられず、道端の道標や庚申塔などを残したいという意見が多く、これをどのように保存活用していくかという中で、石神委員にもご意見いただければと思うが、柏の特徴を石造物から抽出できるか、どのように計画の中で柏の歴史に書き込んだらよいか考えているところである。

 

(石神委員)地域の皆さんの中でどの程度認知されているかということは、地域によって温度差があると思うので一概には言えない。また相談してほしい。

 

(倉田委員)P19に「香取の海」という文言があるが、文章を読むと香取の海の範囲を手賀沼・印旛沼まで含めて使っているようにとれる。その根拠は明確なのか。もし裏付ける史料がないなら「香取の海」の扱いについては慎重に行うべきだろう。香取神宮の前の海を香取の海と呼び、西側については葦原があって名称がついていないというのが一般的な解釈である。中世史の研究者も、内海全体の話をしようとすると、手賀沼・印旛沼周辺の呼称をどうするかで苦労している。中世の研究者によっては、常陸と下総の間にあるので「常総の内海」と呼んではどうかと提起した方がいるが、あまり使われていない。

手賀沼の名称については、12世紀初頭の相馬御厨の寄進状に、相馬御厨の東西南北の範囲を書いている文書があり、手下水海(てがのみずうみ)という言葉が出てくる。手下水海は今の手賀沼の位置に比定されているため、使っても問題ないだろうとは思うが、よく調べる必要がある。柏市を含めた他市の市史で用いた中世の内海の図をみると、香取神宮前の海に「香取の海」と記載されており、印旛沼は印旛浦、手賀沼は手下水海という名称が使用されている。千葉県史では中世の内海全体を香取の海と呼称しているが、根拠が示されていないので、この内海全体を香取の海と呼称することは問題である。手下水海とあることから、この頃には汽水化したと思われるので、香取の海と手下水海、印旛浦は環境が違うかもしれない。「香取の海文化圏」という用語も検討した方がよい。

P44指定文化財の概要と特徴の板碑の呼称は「武蔵型板碑」、「下総型板碑」とした方がよい。

 

(塩澤委員)P13歴史文化遺産について、要検討という感じがする。歴史という言葉が入ると、歴史軸ではないものの印象が薄くなる。記念物には自然関係のものがあるし、民俗は歴史軸には馴染まないものもあるかと思う。歴史文化遺産とすると範囲を狭めてしまうかもしれない、包括的にするためにはこの言葉ではないほうがよいかと思う。案がなければ歴史をとって文化遺産とするか。

 その枠組みと関連すると思うが、P54の歴史文化の特徴、関連文化財群との対応関係となるが、通史的観点に偏りがあるように見える。歴史文化遺産という言葉と連動することかと思う。通史的な軸では切れないタイプの文化財というものも、歴史的に位置付けられる文化財と等価値に見えるような工夫があるべきかと思う。

 

(藤井会長)P15 富勢、土のような地域区分がどのような背景なのか、その背景を解いていく時に、旧石器からずっと時代を追って情報を出してもらったので、それらが地域の歴史に集約されてくるだろうと思う。背景をさぐると意味をもってくると思う。

P50集約図の一例として文化財の情報を入れているが、色々なものが生活の全体像として見えてくるような景観図が作れれば、実感として理解できると思う。

石神委員から指摘のあった未指定文化財や、萩原委員から指摘のあった団体の活動など、すでに今も動いている事業があり、動いている実態と計画が連動しないと絵に描いた餅になってしまう。文化活動を掌握しきれていないということはあるかもしれないが、情報をデジタル化して共有するといった手段を使えば、現在グループで活動している方々が、検索してアクセスできるようになると思う。集めた情報を地域に還元することは、計画作成だけで終わらせないようにするため重要である。

地域計画を作った後は、文化財を指定しないといけない。補助金をもらうための重要な現実的な課題であるため、どのようにアウトプットするか、これが計画とつながっていなければいけない。計画を立てて重点的に取り組む課題が浮かび上がってこないと説得力がないため、メリハリをつけることが計画作成の最後に必要となる。これも重要な課題だと考える。

 

(事務局)実際に計画を作っている段階で、市内の活動団体の方を含めいろいろな情報を集約する努力をしているところである。デジタルツールを使いながらアウトプットしていく、行政でまとめたものを活動している方へ情報提供できるというところがこれからの大きな道となっていくと思うが、それについては部長からも文化事業全般としての情報発信のありかたのようなところは課題としてつねに担当課として捉えていることではあるので、できる限り計画に落とし込んでいけるよう考えていきたいと思う。

 

(藤井会長)今後の予定を事務局に説明していただきたい。

 

(事務局)資料9、10について今後の予定を説明した。

 

カ.シンポジウム開催について 

シンポジウムを予定。ヒアリングを行った民間団体を中心に、シンポジウムへ参加を呼びかけたいと思っている。

できるだけ多くの団体に活動内容のパネルを展示していただき、各団体間で交流してもらう。

民間団体をどのように把握するかについては、シンポジウムを通して横の交流をつくるとともに、認定後の補助事業のため、できるだけ多くの民間団体に入ってもらい、協議会をつくる。

重点的に行う事業として。行政としては、調査をし、把握して保存する。活用については民間団体の活動支援を行う。

 

キ.今後のスケジュールについて

6月6日に2回目の文化庁協議を行い、その後は進捗に応じて協議を行っていく。

11月までに計画案を作成し、柏市文化財保存活用地域計画作成協議会で意見聴取を行う。

 文化財保護委員会へも計画案を提出

文化庁協議を目安に各委員へ情報提供を行う。

 

8 その他

次回会議は1月に実施を予定している。

 

―以上で審議を終了した。―

傍聴者

1名

 

お問い合わせ先

所属課室:生涯学習部文化課

柏市大島田48番地1(沼南庁舎3階)

電話番号:

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