【第16号】手賀沼には悲しい歴史があります(その2)

最終更新日 2014年6月27日

ページID 019123

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t【手賀沼の風景、たのしい出来ごと、めずらしい出来ごとをお伝えします】

今週の手賀沼

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6月19日(木) 3:56 早々の手賀大橋

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6月20日(金) 6:37 手賀川の空 (水道橋より手賀沼方面を望む)

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6月23日(月) 5:57 手賀沼の朝

     

 totte【情報アラカルト、「ぐる~と手賀沼」をもっと知っちゃおう】

先週に引き続き。手賀沼の悲しい歴史をお伝えします。

★★★ 手賀沼殉難教育者之碑 ★★★

今から70年前、戦時下の昭和19年(1944年)秋、女教員錬成会のメンバーが手賀沼を湖北方面より対岸の手賀へ渡る途中に突風をうけ船が転覆し、自学中心主義教育の千浜宗一郎校長ほか17名の教職員が遭難しました。その霊を慰めるために建てられた追悼碑です。我孫子市中里地先の手賀沼に面した台地上にあります。碑は昭和23年(1948年)の命日に建てられました。

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我孫子市中里の小高い丘の上にあります

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【■■■ 水難事故のあらまし ■■■ 】

昭和19年11月22日、東葛飾郡東部地区主催の<女教員錬成会>が行われていた。錬成会は、若い女教員が戦争遂行の理念を持った小国民を育てることを目的とした、いわば戦時之教育方針の伝授の会であった。午前の会議を湖北国民学校で終え、午後は対岸の手賀東国民学校い向かおうと中里の渡しから、3隻の舟に定員オーバーの44人が乗りこむ、舟の配置は、東側に漁師が使うサッパ舟、右側には伝馬船と船頭の使う舟が並んでいた。サッパ舟は突風で波をかぶり水浸しになる。「舟に乗っていたのは二十歳前後の先生がほとんど。波をかぶったとき、着物がぬれるといって立ち上がり、バランスを崩した。泳げる人は少なく、寒さで心臓まひを起こした」 という。サッパ舟は女教師だけあわてて、右側の伝馬船に移る。伝馬船は加重のため重心を失って転覆した。水死者は女性教師十四人、男性教師二人、子供二人 。悲しい出来事があったんですね。 合掌!

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遭難者の名前が刻んであります

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当時の新聞報道

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竹藪がうっそうと茂っています

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後ろ姿です

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現在の地図で示せば(kuma3の推測です)

    

 【歴史ある手賀沼に伝わる物語をお伝えしまっショ】 

黄金の亀

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クリックで拡大します。
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【自然の中の手賀沼。いきいき季節の動植物のスナップです】  

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手賀沼自然ふれあい緑道には「ねむの花」が咲いていますよ。

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ねむの花

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ねむの木

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一人占め

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仲良し

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曇り空

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緑が目に沁みる


 

 最後に・・・

 こちら、<カシワニ>くん!。
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kashiwani© KIC2009

また、来週、バイバイ!!
 


 

© kuma3 H26.6.27

情報発信元

柏人への道(ぐる~と手賀沼)


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