【第15号】手賀沼には悲しい歴史があります(その1)

最終更新日 2014年6月20日

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t【手賀沼の風景、たのしい出来ごと、めずらしい出来ごとをお伝えします】

手賀沼近景

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6月14日(土) 4:41

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6月16日(月) 4:46

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6月18日(水)4:37

  

totte【情報アラカルト、「ぐる~と手賀沼」をもっと知っちゃおう】 

手賀沼聖観世音菩薩像

皆さんは、手賀沼の出口<曙橋>にある手賀沼フィッシングセンターをご存知でしょうか?その敷地内にこの「手賀沼聖観世音菩薩像」が建立されています。
台座を含めて6mほどもあろうかと思います。これは昭和53年(今から36年前)

初代手賀沼漁業組合長深山喜之さんが建立されたもので手賀沼のかつての遭難物故者を弔ったものです。

明治からその当時まで250人余の方が手賀沼で亡くなっているそうです。
そのうちで、大きな事故は:
・昭和17年9月(今から72年前) 旧手賀村片山の東京行商人等6人の殉難
・昭和19年11月(今から70年前) 東葛飾教育会主催女教員研修会参加の

                教職員16名と男性2名の殉難     です。
それらの方々を供養するために建てられたものです。
毎年7月4週目の土曜日に法要が行われているそうです。

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今回は、旧手賀村片山の東京行商人等6人の殉難のお話をしましょう。

【手賀沼行商人の水死事故】あらまし

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昭和17年9月、片山(柏市)の行商人ら6人が乗った渡し船が転覆し水死事故がおこりました。死者は男性1人、女性5人。行商人は風が出てきたので我孫子都部新田の船着き場で風の静まるのを待ってたところに、ある行商人が舟を出し迎えに来ました。舟は都部新田を出てまもなく転覆。6人は帰らぬ人となってしまいました。手賀沼周辺の行商人は戦前から東京の「おとくい」周りをし、主に成田線湖北駅から上野へでるのが中心でした。成田線対岸の手賀村、風早村(現柏市)の野菜やコメを持参する行商人は柏駅に出るより湖北駅に出る方が都合がよかったんですね。そんな中でこの事故が起きました。今から72年も昔の話です。
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筆者も、昭和45年社会人になって常磐線で北小金から都心に通う時、よく行商の姿を見たものです。今はもうほとんど見なくなってしまいました。

  

【歴史ある手賀沼に伝わる物語をお伝えしまっショ】 

手賀沼のうなぎ、その正体は?

この方位を示した巨大ウナギは、大津川河口付近北側、送電線鉄塔付近にありますよ。

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tomo【近隣の我孫子市を含めた手賀沼周辺にお住まいの方提供のベストショット】 

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手賀沼夕景 6/16(我孫子市在住:中村恵美さん提供)

それでは、また来週!
次回は今週に引き続き「手賀沼には悲しい歴史(その2)」をお伝えします。
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 参考文献:一つの手賀沼(相原正義著:たけしま出版)


 © kuma3 H26.6.20


 

情報発信元

柏人への道(ぐる~と手賀沼)


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