第十一回 かしわ・その時「明治29年12月25日 柏駅ができた日~農村から都市へ~」

最終更新日 2012年12月21日

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 第11回「かしわ・その時」は、今から116年前の明治29年(1896)12月25日、現在のJR常磐線柏駅が開設された日としました。

  柏市は、民間のアンケート調査「住んでみたい街(駅)ランキング」で、2年連続で千葉県内1位となるなど、柏駅周辺を中心に商業施設が充実する活気ある街として人気を集めています。  もとは牧歌的な農村が大部分を占めていた柏が劇的な変貌を遂げるきっかけとなったのは、常磐線(時代により組織名・線名が変わるため常磐線に統一)の開通により柏駅が開設されたことによります。

  柏の近代史の中でも特筆され、発展の原点となった明治29年12月25日の柏駅開設を、写真や文献を見ながら紹介します。

(平成24年12月18日掲載) 

一通の手紙から

 現在の東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の前身、日本鉄道株式会社の社長、小野(おのぎしん・1839~1905)から、柏市の前身、千代田村の村長、寺嶋雄太郎(生没年不詳)に出された書簡が柏市教育委員会に残されています。(写真参照)

 日付は8月12日とありますが、内容から常磐線開通の2年前、明治27年(1894)のものと考えられ、鉄道建設計画の具体化に伴って、用地買収の協力を依頼した内容となっています。

小野義真書簡
小野義真からの書簡 

(書簡の要旨)拝啓、残暑却って甚だしく、未だお会いすることは出来ませんが、ご清康の由お喜び申し上げます。
 いよいよ此度、当社は御地方の鉄道敷設を計画しました。ついては鉄道用地の買収そのほか、土地に関する様々の事柄は、流山の秋元氏を通して当社の要求の次第を伝えております。この件につき早速、承諾くだされた旨、同氏より委細伺い有難く存じております。別紙要求書20枚をお手元へお届けしておきますのでよろしくお取り計らいの上、ご尽力をいただきますようをお願いいたします。
 今後この件につき、当社の社員が主張する必要も出てくるかとおもいます。遠慮なく申出て下さい。まずはお願いまで。  草々敬具

                                                                       8月12日

        寺嶋雄太郎 様                                                     日本鉄道会社社長 小野義真

 差出人の小野義真は高知県出身で、同郷の三菱財閥の創始者岩崎弥太郎(1835~1885)を会社の顧問として補佐し、後に日本鉄道株式会社を創設した実業家です。明治24年(1891)東京ー青森間の鉄道を完成させましたが、その記念に開拓した農場は、この事業に尽力した小野・岩崎(当時は2代目社長弥之助)・鉄道庁長官等を歴任し日本鉄道の父と称される 井上(いのうえまさる・1843~1910)の3人の名前の頭文字をとって、小岩井農場と名付けられたのはあまりにも有名な話です。小岩井農場 は現在では岩手県を代表する観光地となっています。

 この書簡で興味深いのは「流山の秋元氏」が関与していたことです。常磐線のルートにない流山で事業を営む秋元氏が、なぜ当初の計画に関っていたのでしょうか。実は、この頃の流山には河岸(かし)が設けられ、江戸(東京)へ物資を運ぶ江戸川水運の拠点として賑わっていました。河岸とは川や湖沼に設けられた港のことです。米などの重い荷物を大量に運ぶ手段が、舟運以外に方法がなかった江戸時代から、河岸はとても重要な施設でした。柏市内からも江戸への年貢米や鮮魚を流山の河岸から運んだり、流山の商人から買い物をしたといった内容の古文書が大量に確認され、当時の 流山の繁盛ぶりが伝えられています。

 日本鉄道の小野社長からみれば、大量の人や物の利用が予想され、採算の見込まれる流山はどうしても鉄道を通したい場所でした。明治26年(1843)の路線計画の申請は、当時「もっとも豊かな土地」と評された川口―流山を通す、下記のコースで提出したのは当然だったのです。

 川口―鳩ヶ谷―草加(以上埼玉県)―流山―柏―我孫子(以上千葉県)―取手―藤代―牛久―荒川沖―土浦(以上茨城県)

変遷図 
路線変更図(「柏市史 近代編」より)

柏駅開業―中核都市へのレールが敷かれた日―

 常磐線の建設は、現在の茨城県日立市付近から福島県南部に広がっていた 常磐炭田の石炭を、東京へいち早く輸送することが第一の目的 だったといわれています。明治20年頃(1887)から日本の産業革命ともいうべき工業の変化に伴い、輸送手段としての鉄道や工業用の燃料としての石炭の需要は飛躍的に伸びていました。常磐炭田は、幕末からすでに開発が始まっていましたが、 やがて北海道、筑豊、三池などと並ぶ石炭産地に成長していきます。石炭輸送は国家的な課題にもなりつつあったのです。

 明治27年2月16日、当時の松本荘一郎 鉄道局長から計画見直しの指示が下ります。「本路線は将来、東北地方運輸交通の要路となるべきものであり、この計画では迂回しすぎる」というものでした。翌年に上野―富勢村根戸(現柏市根戸)間は、川口ー流山ルートから松戸付近を経由する路線に変更され、ほぼ現在の路線が確定されたのです。

 明治29年12月25日常磐線の開通とともに、千葉県内には3箇所の駅が設置されました。松戸、柏、我孫子です。このうち松戸と我孫子は水戸街道の宿場として江戸時代から賑わいを見せており、駅の開設に相応しい場所と見られていました。

 一方、柏市域周辺は「柏村近郊ニ広闊(こうかつ)ナル小金原野ノ開墾地アリ」と日本鉄道技師長の調査実況報告に記されるなど、とても乗客や貨物の利用が見込める場所ではありませんでした。

 そのような状況の中にあって現在の場所に柏駅が設置されたのは、用地提供を条件に駅の開設を請願した富勢村(現柏市)の実業家小柳七郎(生没年不詳)や、寺嶋雄太郎らの熱心な活動の成果といわれています。この2人を筆頭に、当時の千代田村や豊四季村の人々が鉄道用地の確保に積極的に協力していった様子が、鉄道会社の社員とやりとりした書簡や「土地売却承諾書」など、残された資料から伺うことができます。 

停車場用地寄付につき書簡
柏停車場用地の寄付に関する書簡(明治28年(1895)か:差出人不明) 

(書簡の要旨)拝啓 4日付けの朝刊を拝読いたしました。過日はせっかくお出で頂きましたのに、何のお構いも出来ず、恥ずかしい限りです。
 印鑑証本を同封して頂きましたので、仮証書をお返しいたします。
  停車場用地寄付の件については桜井氏(日本鉄道会社社員)に話しておきましたので承知おきください。         早々敬具

                                                                    10月6日
                                    
寺嶋村長 様 侍史                                                    (馬橋) 

  小柳に関するエピソードがあります。現在の柏一丁目一帯はかつて、小柳の功績を称えて「小柳町」と呼ばれていました。現在はその町名はありませんが、柏駅東口のファミリかしわビルと二番街商店街を結ぶ通路名に、「小柳町上空通路」と町名の名残があります。 
明治42年頃柏駅周辺 駅付近を望む
明治42年(1909)頃でも駅の近くにはこのような風景が広がっていました      南側から柏駅付近を望む(中央奥の煙は蒸気機関車・大正10年(1921)頃) 


 さて、常磐線開通の当日、柏駅では盛大な祝賀会が催され、列車到着ごとに花火を打ち上げました。沿線の各駅でも「球灯を掲げ、国旗を立て、停車場外には老幼が群がり」という盛況ぶりでこれを祝ったのです。

 柏駅には上り下り5本ずつの列車が運行され、上野までの所要時間は1時間16分から20分、運賃は23銭(当時のおそばは一杯3銭位)で行くことができるようになりました。これ以降、柏は駅前から本町通り(旧水戸街道)を中心に急速に町場化が進むことになります。

鳥瞰図
駅の東側には街道が広がるが,西側には松林が。西口が開説されるのは昭和31年(1956)までまつことに(柏町鳥瞰図部分:昭和4年(1929))、

開通した時の柏駅発車時刻表は次のとおりです。

  • (上野行) 午前8:59 11:05 午後1:59 4:05 6:59
  • (水戸行) 午前7:41  9:41 午後0:41 2:41 5:41

柏駅を出る蒸気機関  柏駅東口昭和28年
柏駅を出る蒸気機関車(撮映年不詳:個人蔵)                         
 
昭和28年頃の柏駅東口 の様子

鉄道とともに発展した街―柏

 常磐線は明治39年(1906)、国有化されて日本国有鉄道(国鉄)となりました。現在の常磐線という名称になったのは3年後の明治42年(1909)のことで、以降東京へ向かう重要な路線となります。更に明治44年(1911)5月9日に現在の東武野田線(当時は千葉県営軽便鉄道)柏ー野田間が、大正12年(1923)12月27日には同線(当時北総鉄道)柏ー船橋間が営業を開始し、柏駅は下総の交通の結節点としてその利便性は、一層高まることになりました。

駅平面図

 ところで、現在の柏市域にはこれ以外にも、いくつかの鉄道建設計画がありました。鉄道名を上げると、成田鉄道、武総鉄道、船橋鉄道、松木鉄道、手賀沼遊覧急行電鉄、立川急行鉄道、そして筑波高速度電気鉄道です。

  このうち、筑波高速度電気鉄道は昭和2年(1927)東京府に免許申請書を提出、現在の東京都北区から茨城県つくば市に至るもので、柏市域では当時の田中村に駅の計画が立てられます。周囲には住宅地造成も予定され、昭和4年(1929)「鴻の巣台」として柏で最初の土地分譲も行われましたが、鉄道は実現せず、昭和5年(1930)鉄道会社は解散しました。

  そして筑波高速度電気鉄道から78年後の平成17年(2005)8月24日、東京・秋葉原ー茨城県つくばを結ぶつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道)が開通、柏市北部に柏の葉キャンパス、柏たなか駅が柏市域に開業しました。

 こうして柏市は都心から放射状に、JR常磐線、東京メトロ・千代田線及び首都圏新都市鉄道・つくばエクスプレスが、南北には東武野田線が通る交通の要衝として発展しました。

柏駅航空写真 
現在の柏駅周辺の様子

参考文献(もっと知りたい人は)

  •  「柏市史年表」     柏市教育委員会(1980年)
  •  「柏市史 近代編」   柏市教育委員会(2000年)
  •  「歴史ガイドかしわ」  柏市教育委員会(2007年)

情報発信元

生涯学習部文化課 市史編さん担当

所在地 柏市大島田48番地1(沼南庁舎3階)
電話番号 04-7191-7403
ファクス 04-7190-0892
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