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更新日令和3(2021)年2月26日

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旧沼南町の概要

沼南町を中心とした30km圏内地図 沼南町航空写真

沼南町は、千葉県の北西部にあり東京都心から約30キロメートルに位置し、東は印西市、西は柏市、松戸市、南は白井市、鎌ケ谷市、北は手賀沼をはさんで我孫子市にそれぞれ接しています。

面積は41.99平方キロメートル、東西11キロメートル、南北9キロメートルの広がりをもち、北総台地、手賀沼沿岸の低地および、台地に複雑に入り込む谷津田から構成され、標高は最高30メートル、最低2メートルのゆるやかな起伏のある地形です。

交通は、町の南東から北西に国道16号線が、南北に主要地方道船橋・我孫子線が通るとともに、町の南西端を東武鉄道野田線が通り高柳駅があります。都心に直結する方向への鉄道は町内に通っておらず、常磐線柏駅が交通の拠点となっています。

土地利用は、台地には平地林と畑、低地には水田が広がり、その境目に集落が分散立地する古くからの土地利用とともに、近年、町西部を中心に国道16号線や東武野田線に沿って市街地が形成されています。また、町南部の鎌ヶ谷市との境には、海上自衛隊下総航空基地があります。

町章

沼南町町章

沼南町の町政施行10周年を記念して、昭和49年に町のシンボルとなる町章を制定しました。町章はショウナンの「シ」の字を図案化したもので、中央の丸が太陽を、小さな丸は月を表し、シを三水(さんずい)と見て水の意を表し、三日月形の底辺のわずかな突起の部分が樹木の幹と根を形どったもので「緑」を意味しており、全体として、太陽と水と緑を象徴しています。

町の木「椎」

町の木「椎」は、昭和45年9月に制定されました。これは、昭和48年に開催された千葉国体の記念事業として、各市町村の木を選定することになり、沼南町は、地域的に育ちやすく、町民からも親しまれていることから、「椎」の木が選ばれました。

町の花「ひまわり」

町の花「ひまわり」は、平成2年9月に応募総数316点、72種類の中から選定されました。明るく住みよい町のイメージとして、大地にしっかり根をはり、太陽に向かって伸びる躍動感が発展する沼南町を象徴しています。

沼南町民憲章

わたくしたちは、美しい心と潤いのある環境の中で、豊かな人生を送るまちづくりのために、この憲章を定めます。

  • 1 わたくしたちは、豊かな自然を愛し、あたたかい心がかようまちをつくります。
  • 1 わたくしたちは、おもいやりと助け合いで、よろこびを分かち合うまちをつくります。
  • 1 わたくしたちは、郷土と文化を尊び、未来に夢と希望にあふれたまちをつくります。
  • 1 わたくしたちは、教育を重んじ、健康で明るいまちをつくります。
  • 1 わたくしたちは、世界の一員として国際理解を深め、平和を願う開かれたまちをつくります。

(平成6年9月16日制定)

平和都市宣言

世界の恒久平和は、人類共通の願いです。

この願いを実現するために、世界の人々が互いに理解を深め合い、生命の尊さを深く認識し、戦争のない平和な世界をつくらなければなりません。

私たち沼南町民は、美しい郷土を愛し、再び悲惨な戦争を繰り返すことのないよう、非核三原則を遵守するとともに、平和の実現に向かって不断の努力を続けることを決意します。

ここに沼南町は、人間の尊厳と世界の恒久平和の達成を希求して、平和都市を宣言します。

(平成6年9月16日制定)

沼南町の歌

(作詞)宮中 雲子 (作曲)吉田 信 (編曲)平 茂夫

1.
高くのびてく 椎の木と
躍進きそう 沼南町
あふれる力と たくましさ
明日へむかう 喜びを
たたえてうたう いつの日も
この町を 暖かい人の心を
誰もが こよなく 愛しながら 愛しながら

2.
富士と筑波に 見守られ
仕事に励む 沼南町
やさしい空気と 日の光
緑のそよぐ 美しさ
たたえてうたう いつの日も
この町を 暖かい人の心を
誰もが こよなく 愛しながら 愛しながら

3.
古い歴史を 誇りとし
文化につくす 沼南町
手賀のさざ波 水の色
眺めてくらす 幸せを
たたえてうたう いつの日も
この町を 暖かい人の心を
誰もが こよなく 愛しながら 愛しながら

町の歴史

歴史の息づく町

沼南町は、下総台地の上に開かれた町です。北部に手賀沼が横たわり、春夏秋冬、変化に富んだ風光明媚な地です。気候も比較的温暖で、各種の農作物の生育にも適しています。旧石器時代、縄文時代、現在の手賀沼一帯には海水が入り、沼に面した小高い台地には、魚や貝や獣などをとって人々が生活していました。その遺跡(貝塚)は、布瀬、片山、岩井、大井などの手賀沼沿岸地区に多く見られます。


手賀沼

弥生時代後半から古墳時代にかけて、わが国は部族国家を経て、統一国家大和政権が成立したといわれています。この時期、特徴のある墓がつくられました。町内にも円墳・前方後円墳などがあり、当時使われた土器・埴輪なども多く出土しています。特に3世紀後半のものとされる片山地区の北ノ作古墳群は、千葉県では発生期の古墳とされています。また、平成7年の調査では、原1号墳(手賀字埋田)からは、たいへん珍しい魚形埴輪も出土しています。

やがて、奈良・平安時代になると、東国の豪族も朝廷を中心に組織化されます。沼南地方を含む下総国にも市川市に国府が設置されました。しかし、地方豪族や下級役人は、その権力や地位を利用して田畑を開墾し、私有地を増加していくようになりました。そして、自分の土地を守るため、武士たちが台頭してくる時代をむかえます。関東一円に勢力を張った桓武平氏も、こうした中から力をつけ、平将門が所領をめぐって争乱を起こします。町内には、岩井地区の将門神社・地蔵尊、大井地区の車ノ前五輪塔など、平将門に関わる伝説や遺跡が残っています。

中世には、千葉氏(桓武平氏の子孫)が下総地方の守護職に任ぜられ、相馬郡を開発しました。そしてその一族である相馬氏・原氏や高城氏が豊かなこの地に勢力を広げ、町内各所に城郭を構築しました。戦国時代末期、豊臣秀吉が小田原城を攻めたとき、一族は北条氏に従って戦ったため滅び、町内の城郭も廃絶されてしまいました。手賀地区の県道柏・印西線の傍らに「御墓山」と呼ばれる山林があります。この中に原氏の墓地があり、数基の五輪塔などがあります。

近世においては、江戸幕府が開かれると、幕府の天領として、また大名領(田中藩本多氏)や旗本の知行所として幕府の基盤をなす、穀倉地帯でした。一方、手賀沼においては、数回にわたって幕府や大商人の財力で、干拓事業が行われ、沼を堤で上下に分け、新田の開発が行われましたが、 排水が悪かったため、たびたびの水害に見舞われたようです。また、田沼意次による手賀沼、印旛沼の干拓も有名ですが、政変により完成しませんでした。その後、干拓事業は明治以降も計画され、戦後も続行されて、昭和43年に完成しました。また、相馬郡は古代から馬の産地であり、江戸時代には、下総に多くの牧場が設けられ、高柳地区に小金牧が拡大され、放牧地として野馬が放されていました。数回、将軍家による鹿狩りが行われたということです。

明治時代になると、町村制の実施で、17の村(現在でも残る大字)は、明治22年3月、手賀村と風早村の二つに統合されました。

その後、町村合併促進法をうけて、昭和30年3月、両村が合併して沼南村となり、名称は一般公募され、手賀沼の南岸に位置していることから沼南村の名がつけられました。このときの人口は約1万人でした。 昭和39年には人口が約1万6千人となり、昭和39年2月1日町制が施行され、ここに沼南町が誕生しました。

その後、首都圏の発展・拡大に伴って、まず常磐線沿線の松戸、柏などがベッドタウンとして発展する一方、昭和40年代半ばに国道16号線沿道と町南部の高柳駅周辺に住宅団地や工業団地が立地しはじめました。

昭和53年には、大津ヶ丘団地の入居が始まり、54年5月には人口が3万人を超え、昭和58年11月には、役場増築庁舎が完成し、59年6月には町制施行20周年記念式典が行われました。高南台・緑台・南高柳・しいの木台などの区画整理事業も完成し、人口は4万6千人余りとなり、国道16号線沿いには、大型商業店が続々と出店してきています。

そして現在、「ほっとする」まち「HOT」なまちを将来像として掲げ、心のゆとりを育むまちづくりをめざしています。また同時に一歩奥に入ると、静かな林の中に時を忘れたかのように微笑む石仏に会えたり、史跡や由緒ある社・寺もその姿を現します。沼南は都市化が進む中、豊かな自然とともに、こうした歴史の息づく町です。

町政のあゆみ

出来事
明治22年 風早村と手賀村が誕生
昭和30年 沼南村の誕生
昭和39年 町制施行(沼南町の誕生)
手賀大橋完成
昭和40年 ごみ、し尿処理業務開始
昭和41年 役場庁舎(大島田)完成
沼南工業団地起工式
昭和42年 神奈川県綾瀬町(現綾瀬市)と姉妹縁組
昭和43年 国営手賀沼干拓土地改良事業竣工
昭和44年 国道16号線片側舗装で開通
二松学舎大学付属沼南高校開校
昭和45年 し尿処理場(沼南町、白井町、鎌ケ谷市)完成
町の木「椎」制定
昭和47年 高柳小学校開校
人口2万人突破
昭和48年 北千葉水道企業団発足
有線放送通話業務廃止
昭和49年 町章を制定・町歌作成
昭和50年 清掃工場操業開始
広報無線(現防災行政無線)の通報開始
昭和52年 塚崎に「町民の森」オープン
昭和53年 大津ヶ丘団地入居開始
中央公民館オープン
大津ケ丘第一・第二小学校、大津ケ丘中学校が開校
町営水道が給水開始
学校給食センター完成
昭和54年 県立沼南高校開校
人口3万人突破
昭和55年 消防本部・消防署が完成
高柳西小学校開校
布瀬に「ふるさとの森」オープン
総合運動場(現塚崎運動場)が完成
昭和56年 町営水道、北千葉水道企業団から受水開始
高柳中学校開校
第1回沼南まつり開催(17,000人参加)
昭和57年 第1回健康マラソン大会開催(1,000人参加)
二松学舎大学沼南校舎開校
昭和58年 町立高柳保育所完成
役場増築庁舎完成
昭和59年 老人福祉センター「いこい荘」オープン
町政施行20周年記念式典
昭和60年 一般廃棄物最終処分場完成
社会福祉協議会が法人化
昭和61年 塚崎の一部が「塚崎1~3丁目」に名称変更
消防署高柳分署業務開始
昭和62年 手賀の丘公園オープン
第1回手賀沼花火大会開催
昭和63年 人口4万人突破
平成元年 保健相談センター完成
平成2年 「環境保全宣言」を制定
大津ケ丘コミュニティセンターオープン
町の花「ひまわり」制定
心身障害者福祉作業所「ひまわり園」完成
平成3年 大井の一部が「緑台」に名称変更
高柳の一部が「高南台」に名称変更
平成4年 手賀の丘公園センター「どんぐりの家」オープン
平成5年 県立手賀の丘少年自然の家オープン
平成6年 町制施行30周年記念式典
「町民憲章」と「平和都市宣言」を制定
総合体育館オープン
平成7年 高柳コミュニティセンターオープン
第1回手賀沼マラソン大会開催(3,461人参加)
町営住宅塚崎団地入居開始
平成8年 綾瀬市と「災害応援協定」を締結
第二心身障害者福祉作業所完成
平成9年 高柳の一部が「南高柳」に名称変更
町立高柳西保育所完成
オーストラリア「キャムデン町」と友好都市の締結
沼南風早工業団地完成
平成10年 第1回子供模擬議会が開催
高柳の一部が「南高柳」に名称変更
ごみの5分別化を実施
平成11年 中央公民館図書室が新装オープン
ちばレインボーバスが高柳駅乗り入れ
地域振興券の発行
社会福祉センターがオープン
平成12年 町内青年組織「手賀沼2000年委員会」イベント
「都市農業センター」の建設着工
町議会議員選挙(定数削減)
クリーンセンター「しらさぎ」が稼動
介護保険スタート
ホームページスタート
中央公民館の大ホールが完成
手賀地区に「降ひよう」の被害
高柳新田の一部が「しいの木台」に名称変更
平成13年 高柳駅西側土地区画整理事業が始まる
手賀大橋が4車線で全面開通
第四次総合計画がスタート
道の駅「しょうなん」がオープン
IT講習会を実施
湖南特定土地区画整理事業が始まる
平成14年 しいの木台にレインボーバスが乗り入れ
学校評議員制度が始まる
「環境条例」を施行
弓道場オープン
平成15年 1市1町合併検討会設立
シルバー人材センター設立
ミニ・ファミリーサポートセンターがオープン
子育て支援センターがオープン
柏市・沼南町合併協議会設置
住民基本台帳ネットワークシステムが運用開始
平成17年 柏市と合併

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所属課室:企画部経営戦略課

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