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更新日 2019年4月3日(水曜日)

第22回 藤ヶ谷に芽吹いたモダンなゴルフクラブ

藤ヶ谷カントリークラブ

(昔)武蔵野カントリークラブ藤ヶ谷コース

まだゴルフが珍しかった大正末から昭和初期、柏ではゴルフ場の建設が続きました。武蔵野カントリークラブ六実コース(大正15年・1926年)、柏ゴルフ場(昭和4年・1929年)、武蔵野カントリークラブ藤ヶ谷コース(昭和5年・1930年)です。武蔵野カントリークラブは元々日野市にあり、ホールの拡張を計画しましたが、地形的に難しいとの理由から、地形もなだらかで比較的交通の便がよかった六実に土地を求めたのです。六実コースは、東武線の六実駅の近くで現在の高柳と松戸六高台にかけて設けられていました。

藤ヶ谷カントリー

(昔)武蔵野カントリークラブ藤ヶ谷コース食堂

藤ヶ谷コースは六実コースの反対側にあり、現在は海上自衛隊下総航空基地となっています。

藤ヶ谷コース

(昔)武蔵野カントリークラブ(藤ヶ谷コース)

昭和5年(1930年)に開設された藤ヶ谷コースは、現在の下総航空基地の滑走路あたりにコースがつくられていました。当時としては東洋一と称されたゴルフ場で、各界の名士や皇族の方もプレイされたそうです。太平洋戦争がはじまると旧陸軍が首都の防衛を目的として、ここに飛行場をつくる計画が持ち上がりました。昭和17頃より農家の移転がはじまり、ゴルフ場の全てと付近の宅地・畑地山林を含めて接収されました。飛行場は昭和20年(1945年)に完成されましたが、ほとんど使われることなく終戦となり、今度は進駐してきた米軍に接収されました。

藤ヶ谷コース

(昔)米軍から返還まもない下総航空基地正門・昭和34年(1959年)

昭和36年(1961年)この基地から米空軍が完全撤退して全面的に海上自衛隊へ返還されました。海上自衛隊がそのまま引き継いで海上航空の中心的な施設として使用、昭和37年(1962年)には飛行場の管制塔や滑走路などの設備を整備して航空基地の体裁が整いました。

藤ヶ谷コース

(今)現在の下総航空基地(正門)

下総航空基地は幾つもの歴史や騒音、安全面などの問題等をかかえながら地域にある施設として、基地の開放や施設の利用などで住民に身近なものになっています。

藤ヶ谷コース

(昔)昭和34年当時の下総航空基地

藤ヶ谷カントリークラブ

(昔)藤ヶ谷カントリークラブ

昭和39年(1964年)新たに藤ヶ谷カントリークラブが建設されました。オープン当時のクラブバスと入口風景

藤ヶ谷カントリークラブ

(今)藤ヶ谷カントリークラブ

現在のクラブバス入口風景

平成27年(2015年)

藤ヶ谷カントリークラブ

(昔)藤ヶ谷カントリークラブ

旧クラブハウス

昭和51年(1976年)

藤ヶ谷カントリークラブ

(今)現在のクラブハウス

平成27年(2015年)開場50周年を迎えた藤ヶ谷カントリークラブ

藤ヶ谷カントリー

(昔)インコース・スタート付近

昭和42年(1967年)

藤ヶ谷カントリー

(今)現在のインコース・スタート付近

平成27年(2015年)

藤ヶ谷カントリー

(昔)杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)

こうした戦前から始まる市内・近隣地域へのゴルフ場誘致の立役者の一人が、当時新聞記者・随筆家として著名だった杉村楚人冠です。国際的ジャーナリストとして活躍する一方、休日には庭造り・ゴルフ・ヨット・俳句など趣味に打ち込み、随筆「湖畔吟」を通じて手賀沼の自然のすばらしさを広く伝えました。彼が手賀沼を初めて訪れたのは明治44年11月ごろのことでした。

藤ヶ谷カントリー

(今)杉村楚人冠・山荘跡域地

楚人冠がゴルフに夢中になったのも昭和の初めでした。彼は早朝、我孫子から柏を経て北総鉄道(現在の東武鉄道)船橋線で何度もゴルフ場へ通い、それが高じて高柳ゴルフ場脇に晩花林(Bunkar inをもじったもの)と称する別邸を設けました。現在も高柳駅西口近くに別邸が残されています。

平成27年(2015年)